ひらめき生涯一教師、生涯一研究者で頑張りますパンチ


2007年03月02日

『ちんちんぽよ〜』

『ちんちんぽよ〜』

さて、この言葉、どういう意味でしょう?!?!

この言葉、僕の甥っ子(4歳)が大好きな言葉でして。。。何か事があると、「ちんちんぽよ〜!!!」と叫びだす。僕がこちょこちょすると、「うわ!ちんちんぽよ〜!」と叫ぶ。こちら側の声かけを真似するオウムのおもちゃに向かっても、「とぁ!ちんちんぽよ〜!」と話しかける。どこにいても、だれといても、彼の必殺語は「ちんちんぽよ〜」だ。

僕が「ちんちんぽよ〜ってなあに?」って聞いても、甥っ子はにやにや笑うだけで、教えてくれないし、答えてくれない。僕も真似して、「ちんちんぽよ〜」と言うと、彼はキャッキャ笑って、「ちんちんぽよ〜」を叫びだす。しばらく、奇妙な声の掛け合いが続く。。。

いったい、ちんちんぽよ〜って何なんだ??? ネットでちんちんぽよ〜をググってもでてこない(当然やろ?!)

ひらめきときおり、甥っ子は(トイレの際などで)自分のおちんちんを見ながら、「ちんちんぽよ〜」と言っていたので、ちんちんぽよ〜の前半部分はなんとなく理解できる。4,5歳の男の子は「ちんちん」という言葉が大好きだから。でも、じゃあ「ぽよ〜」とは何か。これが分からないのだ。かといって、甥っ子自身も他者にこの言葉の意味を説明することもできない。ああ、謎は深まるばかりだ。。。

どこでどうやってこの言葉を発見したのか。それはきっと甥っ子自身もしらないことだろう。やっぱり子どもってミステリアスだ。

『ちんちんぽよ〜〜〜〜〜〜!!!!』
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2007年02月23日

【赤ちゃんポスト:Baby Klappe】とうとう認可か?!


以下のような記事が公表された。

熊本市の慈恵病院が、育児が困難な親が乳児を託す「赤ちゃんポスト」の設置を市保健所に申請した問題で、厚生労働省は22日、同省を訪れた幸山政史市長に対し「(児童福祉)関係法規に違反しているとまでは言えない」として容認する見解を示した。同市長は病院側とも調整し、設置許可について最終判断する。 

引用元

厚生労働省が、「赤ちゃんポスト」の存在を容認した、ということが読み取れる。これで、本格的に赤ちゃんポストの設置が検討されることになる。日本初の赤ちゃんポスト、どのような事態になるのか、やや緊張感をもちつつ、静観したいところだ。

以前にも書いたが、もともと「赤ちゃんポスト」は、最悪な事態を想定したセーフティーネットの一つ。ドイツでも決してポピュラーなものではない。基本的に、非常事態の受け皿なのだ。日本でどの程度の子どもが預けられるか、というのも全く検討がつかない。

基本的人権の一つ、「生存権」の保障は、国の義務の一つだ。子どもの生存権を守る、というのは、今の時代では正当性をもつ行為の一つである。少なくてよい。年に1人でもいい。1人でも救えれば、それで「赤ちゃんポスト」の意味があるのだ。

今後、慈恵病院がどのような展開を見せるのか。注意深く見守りたいところだ。

*夏くらいまでに、赤ちゃんポストの論文完成させるぞ〜 翻訳本の出版のための準備もあるし、今年書いた論文の校正もあるし、たいへんだたいへんだ。でも、頑張るのみです♪
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2007年01月23日

満員状態■児童養護施設 家族の肖像

児童養護施設。

二年前、キムタクの「エンジン」で、注目された施設でもある。

戦後まもない頃は、戦災孤児の家として、たくさん作られた。そこでたくさんの子どもたちが、親の戦死を乗り越えて、巣立っていった。その後、養護施設は受難の時代を迎える。養護施設不要論も飛び出した。しかし、近年になって、家族のあり方が変わると共に、再び養護施設の利用児の数が増えだした。孤児が増えたわけじゃない。これまで見られなかった(表に出なかった)現象が生まれてきたのだ。それが「虐待」だった。

現在、養護施設は「満員状態」と言われている。今日のyahoo!でもトップ記事として紹介された。引用しておこう。

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2007年01月18日

■児童憲章と現代社会■


昭和26年5月5日、日本で定められた児童憲章。戦後の「子ども観」をよく示す憲章だと思う。現在の子どもの置かれている状況は、戦後すぐの人間が想像することができないようなものだろう。子どもを取り巻く環境は、かつての賢人たちでさえ想像もできないほど、劇的に変化したと言っても過言ではないだろう。。ちょっとつっこみつつ、全文をご紹介。

■児童憲章■

われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。
(*児童の正しい観念の確立って。。。すごい表現だ)

児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んぜられる。
児童は、よい環境の中で育てられる。
(*当然なんだけど、なんかリアリティーがないっていうか)

一 すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保証される。
(*結構保障されてないよなあ。。。心の健やかさって・・)
二 すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもつて育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。
(*これはクリアされているかな。正しい愛情って何なんだろう?)
三 すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。
(*たしかに日本はこの点ではハイレベルだろう、うん。ただ「適当な住居」に住んでいるかどうかは別だが・・・)
四 すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果たすように、みちびかれる。
(*大人自体が責任を他人に押し付けあっているからなあ・・・)
五 すべての児童は、自然を愛し、科学と芸術を尊ぶように、みちびかれ、また、道徳的心情がつちかわれる。
(*科学と芸術ね〜 たしかに受験に役立つ知識よりも、「ああ、すごいなあ」ってただただ感動している方がいいよなあ。今の勉強には、感動がないなあ。。)
六 すべての児童は、就学のみちを確保され、また、十分に整つた教育の施設を用意される。
(*日本は、就学率100パーセント。不登校はどうなるんだ?)
七 すべての児童は、職業指導を受ける機会が与えられる。
(*職業指導を受けても逃げ出す子どもたちのことは想定外??)
八 すべての児童は、その労働において、心身の発育が阻害されず、教育を受ける機会が失われず、また、児童としての生活がさまたげられないように、十分に保護される。
(*勤労小学生っているのかな?あと教育を受ける機会はあっても、学びから逃避する子どもたちのことは考えてない??)
九 すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、悪い環境からまもられる。
(*巷は「悪い環境」?「ケータイ」は??塾は??)
十 すべての児童は、虐待・酷使・放任その他不当な取扱からまもられる。あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。
(*ここは難しいところ。家族の崩壊も視野に入れると・・・)
十一 すべての児童は、身体が不自由な場合、または精神の機能が不充分な場合に、適切な治療と教育と保護が与えられる。
(*現代社会では、「就労支援」なんて言われていますが・・)
十二 すべての児童は、愛とまことによつて結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。
(*愛とまこと、そして、憎しみと虚偽。。。言葉で言うと簡単なんだけどね。。。人を愛して、まことを信じて、、、って、なかなかできないところなのだが・・・)

★この文章、やっぱりいいなあって思った。理想を語らなければ、現実に押しつぶされる。理想は、こうやって語り継いでいかないといけないなあって実感。。。言葉で理想を確認することはできるのだから。

児童憲章、もう一度、ゆっくり読み直したいところだ。。
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2006年12月20日

■滝乃川学園と石井亮一と筆子■NHKで放送!


児童福祉の歴史の中で最も有名な人物が「二人の石井」。児童福祉従事者でこの二人のことを知らない人はいないだろう。

二人とも、児童福祉の黎明期に活躍した実践者である。共にクリスチャンでもある。

一人目の石井が、石井十次。十次は、宮崎県出身で、1865年生まれ。22歳の頃から孤児の救済にあたり、後に『岡山孤児院』を創設する。現在の「児童養護施設」の礎を築いた人物である。(後に尋常小学校を設立)

二人目の石井が、石井亮一である。彼は、「知的障害児の父」とも呼ばれ、障害児教育の第一人者とも言われている。1868年生まれで、十次よりも三つばかり下。佐賀県出身。二人とも九州男児だったのも面白い。彼は立教出身で、立教女学院の教頭でもあった。(十次も亮一も「福祉」と「教育」とを両方実践してきた!)のちに、『滝乃川学園』を創設。障害児教育・障害児福祉の礎を築いた。

今日、NHKの「その時、歴史は動いた」の主人公は、後者の亮一の妻であった「石井筆子」だった。彼女のことは、最近色んなところで話題になっており、映画にもなったくらいだ。(詳しくはこちら

彼女については、文献も日記もかなり残されていて、多分多くの研究者がこぞって研究するであろう。僕がすることじゃない。

ただ、僕が興味深いと思ったのは、そんな彼女が、フランス語の先生だった、というなんてことない事実だ。彼女は、イタリア・フランスと留学しており、「外国語講師」だった。もともとは「金持ちの子女」だったようだ。だが、そんな何気ない事実にこそ、彼女を理解する手がかりがあるように思える。「外国語講師」と「障害児教育」、全く関連性のない分野だが、何か共通性が見え隠れするのだ。

続きはこちら⇒続きを読む
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2006年11月21日

【ウィーン】Babyklappeに預けられた双子のモナとリサ


日本に【赤ちゃんポスト】が創設されるというニュースが公表されてから一週間以上が経った。

日本では主に、「無責任な育児放棄が増大するのではないか?」という疑問・懸念が出ていて、今後どうなるのか、不透明な部分が多い。

ただ、期待を抱くにせよ、懸念を抱くにせよ、実際に欧州でどのようなケースがあるのか、ということを学んでおくことは悪いことではないだろう。すでにこのブログでもいくつかのケースを紹介している。今回も、またレアなケースかもしれないが、実際にあったオーストリアのケースを紹介したい。

2003年6月に、双子の赤ちゃんがベイビーネスト(赤ちゃんポスト)に預けられた。二人の名前は、MonaちゃんとLisaちゃん。置き去った母親が、二人の名前を書いた手紙を残していったのだ。

ネット上で写真も紹介されている。

こちらをクリックしてください!

この上のサイトでも見られるように、二人の新生児がベイビーネストに預けられた。これは、かなり大々的・センセーショナルな記事として、欧州全土で話題になった。

そのときの記事を全訳したので、よかったら是非お読みくださいませ。

【タイトル】
Wo ist nur die Mama von Mona und Lisa?
モナとリサのママはいったいどこに?

【記事】はこちら⇒続きを読む
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2006年11月13日

●解釈の仕方が変わると接し方(行為)も変容する●

ある保育士Sさん(僕の元教え子♪)から聴いた話。

Sさんは、保育士一年目。まだ現場に出て半年。まだまだこれからの人材だ。そんなSさんが年少の子どもの保育をしていた時のこと。

Sさんは、午前中の保育中、よしお君(仮名;3歳)と遊んでいた。一通り遊び終わると、よしお君は、ひょこんと立ち上がり、トカトカ歩きながら、水道に向かっていった。そこで、よしお君は、水道にある蛇口をじっと見つめだした。そして、蛇口をひねり、水を出した。この水の放出が気に入ったのか、気になったのか、よしお君は、蛇口をひねりは、閉めていた。ひねって閉める、ひねって閉める、この繰り返しが「お気に入り」になったようで、ケタケタ笑いながら、何度も何度も同じことを繰り返していた。それを見たSさんは、≪水を無駄に流すなんて良くない≫、と判断し、「ダメだよ。蛇口は遊び場じゃないんだから。無駄に出しちゃダメ」と諭すように、よしお君に言った。よしお君は、この時、不満を残しつつも、とりあえずSさんの言うことを聞き、蛇口を閉めて、その場を離れた。しかし、しばらくすると、またよしお君は、水道に行って、再び蛇口をひねってケタケタ笑いながら、水の放出を楽しんでいた。Sさんはまたよしお君のところに行き、「ダメでしょ。先生と他の事をして遊ぼう」と、よしお君にやや強い口調で言った。けれど、今度はよしお君はやめようとしない。Sさんはすっかり困ってしまった。また、少しイライラしてしまった。

その後、しばらくの間、Sさんは、この一連のよしお君の行動のことが気になっていた。よしお君に対して、あのような態度をとってよかったのか、他のかかわり方はなかったのか、思いあぐねいていた。

その後、Sさんは、ベテランのT先生のところに行き、このよしお君とのことについて相談した。

そうしたら、T先生は、やさしくほほえんで、「あら、よしお君、水道の蛇口をひねって、水を出せるようになったの?すごいわね。これまで水道の蛇口なんてひねることなんて、なかったわよね。すごいわね〜」と、Sさんに語った。

この時、Sさんは、「え? そういう風に考えることができるの?」と思った。このT先生のコメントは、Sさんにとっては、意外な返答だった。しかし、よくよく考えてみると、よしお君はたしかにこれまで≪蛇口をひねって遊ぶ≫、ということはしたことがなかった。T先生の言うとおり、「すごいこと」をよしお君はしていたのだ。そう考えると、Sさんは、よしお君がますます愛おしく見えてきた。そして、そう考えることで、Sさん自身にゆとりと穏やかさが生まれ、もっとよしお君に寄り添って、かかわることができる。もちろん「蛇口を開閉する」という行為自体は止めなければならない行為ではあるが、よしお君に対する言い方や接し方は変わる。「あ、よしお君、こんなすごいことができるようになったんだ。すごいわ。でも、この行為は許されない行為。だから、とても止めるのは心外だけど、注意させてもらうわ」、というように、冷静に対応することができる。よしお君の行為の解釈の仕方を変えるだけで、その後の対応すべてが良く変わっていく。

Sさんは、一面的な解釈によって、よしお君の行動をただ否定するだけだった。けれど、その一面的な解釈を変えることで、より冷静に、より丁寧に接することができる、と思うようになった。

この話から、人間の行動は、解釈の仕方そのものによって、影響を受けているし、解釈の仕方が変わることで、同時に変わっていくのだ、ということを僕は学んだ。行動が生じる前提条件に、「解釈する」という行為があったのだ。「解釈の結果」が「行為」であり、その逆ではない。そういう意味で、T先生は、よりよしお君のことを深く解釈することで、余裕を自らに与えていた。

【解釈の仕方が変われば、自分自身の行為や行動も大きく変化する】という一般命題にまでたどり着くことができた。もっと観念論的に言えば、思考(判断;憶測)は、経験(行為)に従属しているのではなく、経験に先立っている、そして、思考が経験を規定しているのだ。だから、思考・判断の仕方が変われば、その思考・判断する当の人間の行動や行為もガラリと変わることができるのだ。

Sさん、ありがとう!!

さらにkeiの考察⇒
続きを読む
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2006年11月09日

●赤ちゃんポスト●Baby klappe●いよいよ日本にも!

今日、大々的に、『赤ちゃんポスト』創設の記事が公表された。

朝日新聞の記事はこちら

とうとう、Baby Klappe/Babynestが、日本にも登場するのだ。賛否両論があるだろうけど、「殺される赤ちゃん」の側から言えば、作ってもらいたいと切に思っていた。

で、このブログ初めて、大手検索サイトで、このブログが紹介されたのだ!!(kei、大感激) こんなちっぽけなブログを紹介してくれたのは、goo。gooのニュース記事で、keiのブログが紹介されたのだ。もう、ビックリでした。。。

gooの『赤ちゃんポスト』の記事はこちら

こういう経験は初めてなので、とても嬉しかった。けれど、紹介された僕の記事はまだまだ不十分なものなので、ちょっと恥ずかしい、、というか・・・なんというか。

赤ちゃんポストの基となっている『Baby Klappe』に関する記事は、合計四つ、これまでに書いているので、興味のある方は是非ご覧下さい。

@【乳児保護】Baby-Klappe/Babyfenster

Aん?子捨て箱?@ドイツ Baby-Klappe(子捨て施設)

Bウィーン唯一のBabyNest(Baby Klappe)へ!

Cちょこっと。

IMG_5684.JPG
(オーストリアのBabynestの預けるところ。朝日新聞の写真より綺麗でしょ?!)

今回の『赤ちゃんポスト』創設について(keiの考察)⇒続きを読む
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2006年11月05日

■終わらない虐待問題■


全国乳児福祉協議会が、乳児院の入所理由の約3割が虐待である、という結果を出した。

詳しくはこちら!(毎日新聞)

2005年度に乳児院に入所した乳児の数3200人。これを多いと見るか少ないと見るかは、各自の主観によるだろうが、徐々に増えているとは言えそうだ。

現代社会は、『子育て』がとてもたいへんな時代。この100年で、子育てをめぐる環境はがらりと変わってしまった。女性の社会進出も、核家族化も、つい最近の出来事なのだ。これまでは、男性の都合で、女性は家庭に閉じ込められていたし、日本の家庭は家を中心にした大きな組織だった。この100年で、家庭はめまぐるしいほどに変化した。

虐待は、現代社会の病理なのか。それとも、現代になってようやくディスクローズされただけの問題なのか。最も弱い存在である乳児へと攻撃性をむき出しにする親は、なぜゆえにそうなってしまったのか。

乳児への虐待のほとんどが母親だという。母親自身が追いつめられているのか。母親の子への愛情が軽薄になったのか。僕は、母親が追いつめられているように思えてならない。女性学の立場からは、虐待問題はどのように捉えられるのか。

まだまだ分からないことだらけだ。

参考→続きを読む
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2006年09月27日

ウィーン唯一のBabyNest(Baby Klappe)へ!

遂に、Baby Klappe(ウィーンではBabyNest)の中に入ることができました。

スザーネシュトロバッハさんの協力で、すみからすみまで見せてもらい、解説もしてもらい、内情のすべてを教えてくれました。

今回、初めてBabyNestをじかに見てみて、僕が出した答えは、「本当にすごい」ということでした。

これまで六年間の試みで、14人の赤ちゃんが、ここで救われました。

ちょっと長いけど、よかったらレポをお読みください!

*コメントありがとうございます。かなり多忙で返事を書くまでに至りませんが、ちゃんと読んでいます!!

IMG_5659.JPG
(BabyNestの外観です。病院の敷地側から。こっち側は一般人は見られません。Nestの中と外からの様子は、、、そのうち・・(意味深))
(僕の学生は、後期の講義で発表します!細かく説明します! お楽しみに!)

レポ→続きを読む
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2006年09月18日

【乳児保護】Baby-Klappe/Babyfenster

ドイツ・オーストリア・スイスを中心に始められた乳児救済事業。来週からのウィーン訪問の際に、取材したいのが、このBaby-Klappeだ。Babyfester(乳児の窓)は、スイスでの名称。

Baby klappeについてはこちら(keiの前回の記事)

子どもを捨てる箱と言われているが、ちょっと訳には注意した方がいいと思う。

児童福祉事業で、乳児院のような役割を持つが、日本の乳児院とは明らかに違う。児童相談所が介入するのではなく、あくまでも、母親の匿名性を保ちつつ、母親救済の意味をもつ施設/制度だ。

写真で、この施設へのプロセスがあったので、是非こちらをご覧になっていただきたい。

母親がBabyfenster/Klappeに至るまで・その後

*このページの左の枠の中の上から三つ目の枠【Babyfenster Einsiedeln】のところにある、『Wie gehe ich vor』というところをクリックしてください。その後、フィルムが出てきたら、画面の写真の右下のvorwartというところをクリックしてください。そうしたらどんどん先に進んでいきます。

メモ。

さらにBabyklappeについての情報はこちら
(ドイツ、オーストリア、スイスの施設一覧もあります)続きを読む
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2006年09月13日

親の離婚と子どものこころ(23)


連載としてはかなりご無沙汰でして。。。

この本もいよいよ中盤戦を終えようとしています。

今回は、また、一つの小さな物語。


ガラスのようなチョウチョウ』
(1996、ミューラー、S.53)

すごく短いお話だけど、すごくイマジネーション的です。思わず、森の美しい世界へと誘われたような気分になります。

それでは、スザーネさんの解説と共に⇒続きを読む
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2006年09月13日

●メルヘン●『割れた花びん』●1996●


スザーネさんの著書『親が離婚した子どもたちの援助』の中の一節。

とうとうスザーネさんの文献の翻訳も架橋に入りました。再来週、スザーネさんと再会します。で、原稿の照らし合わせをします。スザーネさんと、この本について、数日間議論し、翻訳本としての形を整えます!彼女は、オーストリアの人だけど、ドイツ、オーストリア、さらにはヨーロッパ諸ヶ国で、『親が離婚した子どもたち』という言葉が定着しつつある。日本語に訳すと『離婚児』ということになる。ドイツでは、社会問題の一つとなっている。

日本でも、笑えない状況だと思う。僕の教え子で現在幼稚園の先生をやっている元学生が、この前、こう言っていた。

『今、親が離婚した子ども、すごく多いですよ。半分くらいの子どもの親が離婚しています』、と。

また、現在保育園の保育士をしている教え子の話でも、同じ、いやそれ以上に深刻そうだった。

『たいへんですよ。保育園って、働いているお母さんがほとんどじゃないですか。だから、離婚って問題は、すごく慎重なんですよ。。先生、どうしましょう?』

こんな感じで、離婚の問題、離婚児の問題は、まだ目立った議論にはなっていないが、日本でも徐々に、欧米並みに近づいてきているような気がする。(もともと日本は離婚が多い国だったようだが・・・)

で、本題。

今回、訳出したのは、スザーネさんの著書の中盤戦で引用されているお話。『割れた花びん』というテーマで、家族の変容やその相克のメタファーとして捉えればよいと思う。

すごく面白いお話だったけど、それが日本語で通じるかどうか。。。お時間のある方は是非読んでいただきたいと願っています。

『割れた花びん』本編はこちら⇒続きを読む
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2006年08月11日

親が離婚した子どもに読んでもらいたい本

翻訳モノ。

不定期連載『親の離婚と子どもの心』の番外編(1)

番外編にしたのは、スザーネさんが引用している箇所まるごとが一つのお話だから。部分的に省略されているが、これだけでも十分に一つの本として読める。

著者は、Erika-Meyer-Glitzaさん
(細かい説明は、この記事の一番最後に!)

親が離婚した子どもがどれほど辛い状況に立たされるか、少しは僕らも分かるかもしれない。どれほどの葛藤状況に立たされるか、どれほどの決断が余儀なくされるか、経験していない人には絶対に分からない部分だろう。

でも、この物語は、犬のBalduin(バルドゥィン)が主人公になっていて、とてもライトに書かれている。*本訳では、バルディンと訳出している。

*お時間のある人は是非読んでいただきたいです。そんなに長くないですけど、短くもないです・・ふらふら

本文はこちら⇒続きを読む
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2006年08月09日

48時間の約束@にっぽんの現場(NHK) 虐待って。

児童相談所の『児童福祉司』の仕事を追ったドキュメント、『48時間の約束』が放送された。

【内容】
ひとつの現場を徹底して取材し日本の今を見つめるドキュメンタリー。第1回は、児童相談所の現場から、増加し続ける児童虐待の実態に迫る。埼玉県では虐待に関する通報を受けると48時間以内に子どもたちの状態を把握し安全を確保する独自の取り組みを行っている。埼玉中央児童相談所を舞台に苦闘する虐待対応チームに密着。現代の子どもたちが置かれた状況、虐待に走る親たちの心理と現実を浮かび上がらせる


というもの。(詳しくはこちら

或る児童福祉司の方のブログもありました。

この番組の最後で、虐待について非常に大切なことをいっていたので、ここに書き残しておきたい。

その内容はこちら⇒続きを読む
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2006年08月04日

親の離婚と子どもの心(22)◆1000記事達成!

★「Dr.Keiの研究室」、記念すべき1000記事目は、不定期連載、スザーネさんの訳文でした。(昨日の時点では、何を1000記事目にするか、何にも考えていませんでした。

★微妙な表現が多い文章なので、すごく手間がかかってしまいました。この訳出箇所は、スザーネさんの著書、『親が離婚した子どもの援助』(仮)の核心部分でもあるので、是非お読みいただきたいです。もし離婚という状況に陥った時、どんなことに注意したらいいのか、(再婚を伴う場合)どのようにして新たな人間関係を作っていったらよいのか、スザーネさんの豊富な臨床経験から得た見解に耳を傾けていただきたいです。

★1000は、通過点にしか過ぎません。これから、もっともっと多様且つディープな内容の記事を書いていきたいなあ、としみじみ思っています。

★スザーネさんの根本思想をこの記念すべき1000記事目に紹介できることを心から喜びたいです。9月後半にウィーンにて再会しますわーい(嬉しい顔)

soon続きを読む
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2006年07月28日

親の離婚と子どもの心(21)


引き続き、レッスンレシピです。

周りの人に、改めて、しっかりと『名前』を呼ばれると、どういう気持ちになるだろうか。「○○ ××くん」、「○○ △△ちゃん」と呼ばれると、どうだろうか。また、複数の友達たちに、自分の名前を大きな声で呼ばれたら、どんな風な気持ちになるだろうか。

僕の学生たちと一緒に、このレッスンをやってみたら、意外と好評だった。「なんか照れくさいけど、嬉しい気持ちになった」、と言う学生も多かった。「自分の名前を呼んでもらう」、ただそれだけなのに、嬉しいのだ。

小さい子どもの場合だと、きっと学生以上だろう。

続きはこちら⇒続きを読む
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2006年07月28日

親の離婚と子どもの心(20)


スザーネ・シュトローバッハさんの文献の翻訳の連載も、20回まできた。彼女が実際にやってきたレッスンの『レシピ』をご紹介していきたい。

『レシピ』と命名したのは、keiの意向からである。スザーネさんは、おおまかに、こんな感じでやってみたらどうでしょう?という提案をしてくれている。なので、これをどう調理するかは、各実践者に委ねられている。(僕も、うちの学生とこの夏、ワークショップをやってみるつもりである)

今回紹介する実践レッスンのレシピは、『注意深くなってみて』というもの。二人ペアになって、相手のことを敏感に感じ取ってみる、そんなレッスンだ。

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2006年07月13日

親の離婚と子どもの心(19)実践編


不定期連載となっている『親の離婚子どもの心』、第19話からは、スザーネさんの実践編です。

彼女は、心理学の理論と親が離婚した子どものケアの実践の両方を重要視していて、バランスの取れた研究者だと思う。そんな彼女の実践の内容を追って見てみたい。

(18)までは主に理論編。(19)以降は実践編と捉えてもらいたい。興味深い実践が続きます!

soonsoonsoon

お家の音楽 
(造形、音楽・リズム、グループワーク)

年齢 5歳から7歳
教材 
トイレットペーパーの芯(Leere Papierrollen)、厚紙(の箱Kartons)、フルート、笛、(可能ならば)鉄琴、ひも、ベル(鈴)、深鍋、壁紙(Backpapier)、缶(小箱Dosen)、米、ガチャガチャと鳴りそうな小石

続きはこちら→
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2006年07月10日

ふれ愛義塾@福岡 <子どもの自立支援>


日本テレビで『ふれ愛義塾』のドキュメンタリーが放送された。

この塾は、かつて元暴走族トップで覚せい剤の密売までやっていた工藤良さんが設立した施設で、主に非行少年や自立支援の必要な若者たちを対象とした民間の自立支援施設、といったところか。

gooニュース(詳しいです!)
ふくおか人間交差点

放送された番組だと、主に中学生を対象としているようだ。藤原正範氏も指摘しているが、少年犯罪の質は15,6歳と17,8歳とは全然違う。工藤さんは23歳の時に更生して立ち直っているが、多くの場合、17,8歳を過ぎてしまうと、更生するのは非常に難しい、と言われている。逆に、中学生くらいならば、更生の可能性は非常に高い。柔軟性・可塑性に富んでいるので、ちょっとしたことで大きく変容することができる。

テレビに映る工藤さんは、元ヤンキーをウリにする人のような不自然さがない。本当に更生した人という印象を抱かせる。本当に子どもを救おうとしているんだなあというのが伝わってきた。

だが、工藤さんのような活動は、日本の児童福祉の歴史をたどっていけば決して珍しいものではない。もともと子どもの自立支援は、民間の人々によって行われていた。1883(明治16年)、大阪市北区空心町に池上感化院を創立した池上雪枝さんは、工藤さんのように民間でこどもの自立支援を行った。(池上雪枝さんについての過去の記事はこちら

池上さんも、工藤さんも、自腹を切って、自分の使命感から動いている。まさに『実践者』と言っていいのだろう。

でも、どうしてここまで人のために動けるのだろう。工藤さんはどこで誰と出会って更生することができたのだろう。なぜボランティア活動を始めたのだろう。人間は紙一重だと思う。良くなる人もいれば、そうはならない人もいる。どんな人と出会うかにかかっているのだろうか。それともただの偶然か。工藤さんの場合、元暴走族ということで、自立支援をしている、というよりも、ピアカウンセリング的な要素が強いように思う。「俺も昔はそうだったよ」。対人援助の方法とは全く別の方法。当事者だから通じる部分もある。(逆に、当事者だから見えなくなる部分もあるが・・) 彼のアプローチは当事者性にあるように思えた。

これから、どんな活動に展開していくのか。楽しみだ。
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2006年07月04日

親の離婚と子どもの心(18)


前回の記事はこちら

子どもたちは、<自分の親たちは、自分たちを守り、自分たちを世話するために、常にそばにいるであろう>、という気持ちを抱きながら、成長する。こうした保護の盾にひびが入ってしまうと、子どもたちは、残されし者(去らなかった方の親)もずっと傍にいてくれるのかどうか、と問いだすであろう。親の一方を失ってしまった子どもたちは、もう一方の親もいつかどこかへ去ってしまうだろう、ということを恐れるのである。

家族が崩壊してしまうと、子どもたちは孤立無援となり、不安になる。この強烈な心の痛みが原因となって、多くの子どもたちは、親たちの保護の盾に全く入らずに、自分自身を守る。子どもたちは、自分が傷つけられないように誰も寄せ付けなくなると、自分たちを愛する人さえも遠ざけてしまうことになる。こうしたことが、孤独を生みだしてしまうのである。

本質的な感情の一つは、何か間違ったことをしてしまったのではないか、あるいは、何かに失敗してしまったのではないだろうか、という罪責の感情である。子どもたちは、なぜこうしたことが起こってしまったのかを理解しなければならないし、また、男性・女性の罪人を必要としている。通常、彼らは、自分自身に罪責を課している。罪責感情は、自己軽視や抑うつを引き起こす。子どもたちは、罪責に関する質問に対して、非現実的で空想的な答えを出してしまう傾向がある(「パパは、僕がパパと散歩に行きたがらなかったから、出ていっちゃったんだ」、「ママは、僕がいつもご飯を残すから、出ていっちゃったんだ、いや、僕が学校でいい成績じゃないから、出ていっちゃったんだ」、そして、さらにあることやないことなど様々な説明が続く)。

■続く■
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2006年07月04日

■保育するということ■

現在、僕のかわいい学生たちが保育実習にいっている。先生は、その巡回指導ということを行う。僕もかつて教育実習に行った時、やはり大学の先生が来てくれて、嬉しかったのを覚えている。

この巡回指導では、現場の保育士さんや園長先生と直接じっくりお話しすることができる。僕は、もともと専門が教育・福祉なので、これまで保育という仕事そのものについてはよく知っていなかったし、保育士さんの話もあまり聴いたことがなかった。福祉と教育の間、という程度にしか理解していなかった。

でも、現場の先生や園長先生との対話を通じて、非常に深く興味深い世界だということも分かってきた。

@能動性ではなく受動性の重視(待ちの子育て)

教育や福祉は、専門家の能動性によって支えられている部分が強い。こちら側からの働きかけ、あるいはその方法がすごく重要になってくる。だけど、保育の場合、そういう能動性よりもむしろ、徹底した受動性が問われてくる。子どもからの絶え間ざる働きかけ、ともすると「聴かない」に陥りそうなほどに危うい子どもの声なき声、そういう働きかけや声に絶えず謙虚に耳を傾ける、そして、そこから何かを感じる、そういうことがすごく大切なんだ、と分かる。

Aめだたなさ

これこそ、保育士に一番ぴったりくる言葉かもしれない。教育や福祉以上に「めだたないこと」が重んじられるようだ。たしかに、学校や福祉施設以上に、保育士はめだっていない。静かに存在している。いや、自らの存在を消すことで、しっかりとした保育を実現しているのかもしれない。実習生で評価が高い学生は、こういうことが自然にできてしまう学生だったりする。めだたないこととぼ〜っと突っ立っていることとは全然違う。あれやこれやと騒がしく動くことをしないで、無心に存在し続ける。この点も、教育や福祉と異なる点、保育らしい特徴かもしれない。

B実践者というよりは翻訳者

教育や福祉施設の現場では、「実践者」という言葉がぴったりくる。まさに、実践(行為)を引き起こす当の人間だからだ。ある意味で、能動的な行為者ともいえるだろう。だけど、保育士は、そういう行為の担い手ではないようだ。保育士は、実践者という言葉がぴったりと当てはまらないような存在なのだ。例えば、子どもとのかかわり。ある子どもが「おたかまししがほちい」と言ったとする。その時、きっとその子どもがなにを言っているか分からないと思う。その時、どうするか・・・

続く⇒続きを読む
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2006年07月02日

ん?子捨て箱?@ドイツ Baby-Klappe(子捨て施設)



Baby-Klappe(赤ちゃんベッド施設)or(赤ちゃんの蓋)⇒日本では子捨てボックスと言われているがそれはNG。施設(Einrichtung)のことを言っている。

baby-Klappeの概念はこちらを参照

Die erste moderne Baby-klappe in Deutschland wurde am 8. April 2000 in Hamburg-Altona eingeweiht. Diese Einrichtung besteht aus einem Wärmebett, in das der Säugling von außen gelegt werden kann. Mit einer Zeitverzögerung, die der einlegenden Person die Möglichkeit gibt, sich unentdeckt zu entfernen und so ihre Anonymität zu wahren, wird ein stummer Alarm ausgelöst, durch den Fachpersonal herbeigerufen wird, das sich um das Findelkind kümmert.(ドイツで一番最初の近代的な「子捨て施設」は、2000年、4月8日に、ハンブルクのアルトナで開校された。この施設には、温かいベッドがある。このベッドには、外部(町)から来た乳児が寝ることになる。子どもをベッドに置く人間(親)が誰にも気付かれないまま、子どもから離れ、さらに彼らの匿名性を保護するために、しばらく時間が経ってから警報が鳴る。この警報によって、専門職の人間が乳児のところにやってくる。彼らがこの捨て子の養育を行うのである)

Babyklappen und anonyme Geburten

阪本恭子さんの論文はこちら(かなり詳しいです)

さらに、調べてみると⇒続きを読む
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2006年06月25日

親の離婚と子どもの心(17)


前回の訳文記事はこちら(16)
前々回の訳文記事はこちら(17)

soonsoon

子どもたちの年齢が高ければ高いほど、同一化する人間を求める彼らの要求は大きい。青年たちは、役割を≪演じてみる≫。そして、(音楽のアイドルスポーツのアイドルの真似をしたり、例えば仕事の後の一杯のビールなど、両親の習慣化された諸行為の真似をしたりして)大人たちの行動様式を受け継ぐのである。自分自身のアイデンティティーへの探求欲は、(おおよそ10歳から12歳の)思春期以前の時期と、(おおよそ13歳から18歳の)思春期に最も活発的である。とりわけ両親が、彼らの観察の対象となる。親以外の親類(祖父母、叔父、叔母など)とは比較にならないほどに、親は第一の同一化のモデルなのである。それゆえ、親が子どもに与えるものが重要になるのである。というのも、それがポジティブなものであれ、ネガティブなものであれ、行動様式が受け継がれ、日常生活の中でその行動様式の適合性が厳しく試されるからである(例えば、衝突を解決する方法は、クラスの同級生との間で試されるし、職業教育の道も、両親の職業的イメージに応じて、選択される)。とりわけ、「両親が、酒を飲む、タバコを吸う、薬物を摂取する、暴力的である、違法行為を犯す」、といったときに、一つの危険が生じる。こうした手本(型)は、受け継がれ、試みられ、子どもの感覚や目的において再チェックされる。両親のこうした行動は、しばしば子どもを不安にさせる。だが、子どもたちへの愛情の方が勝っている(虐待を受けた子どももまた、別の親など望んではおらず、自分の親を望んでいる! 子どもたちは、自分の親たちが変わることを望んでいる!)。しかし、「僕もそれをすることできるの?」、「その危険は、僕をも苦しめて、依存状態になっちゃうのだろうか」、といった問いが、〔子どもの中に〕浮かんでくるのである。

続きはこちら⇒続きを読む
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2006年06月20日

親の離婚と子どもの心(16)

スザーネ・シュトローバッハさんの『親が離婚した子ども』の第二章スタート!

第二章 個性と自尊心
Individualität und Selbstwert

背景

Hintergrund

子どものアイデンティティーは自分の家族に結びついている。もしこのシステムが崩壊してしまったり、あるいは、〔崩壊はしなくとも〕後々に影響が残るほどに変化してしまったりすると、子どもの視野・視点も、自ずと、危うくなり、子どもは、自分のアイデンティティーを新たに定義づけねばならなくなる。こうしたことは、とりわけ、他者との差異化(区別)によって生じる。区別の目印と類似性に関する知識は、もちろん重要であるし、有意義であるが、それ以上に、確固たる自己−意識を獲得するためには、必要不可欠なものなのである。

続きはこちら⇒続きを読む
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2006年06月18日

親の離婚と子どもの心(15)

いよいよ、第一章、最終回。

soonsoon

離婚した家族では、しばしば、親の一方が他方のことを悪く言う、ということが起こる。それゆえ、子どもは、様々な人たちから、そのつどその人たちの視点の下で、一つの話、ないしは同じような話を聞かされる。また、多くの親たちは、子どもが自分の味方になってもらいたいと思っている。こうしたケースにおいて、子どもは、愛する両親に欺かれたと感じ、最終的には、一方の親だけが正しいということになってしまう。こうした信頼感の欠如や罪悪感は、「自らも信用に値しないのでは」という子どもの不安を生じさせる。子どもがこうした不安〔自己不信感〕を成人期まで持ち込むならば、子どもは、義務や人間関係における困難を実際に負うことになるだろう。〔だが〕子どもにとって、離婚は、死のように致命的ではない。子どもたちは、両親の間の絶え間ない往来によって感情が引き裂かれ、それが基になって、「両親は再び一緒になるだろう」という考えに固着する。

続きはこちら⇒続きを読む
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2006年06月18日

親の離婚と子どもの心(14)


前回の記事はこちら

喪失体験


どの子供も、見捨てられるのではないかという不安を抱いて、この世に生まれてくる。この不安は、両親が子供の望みや要求に応えることで、徐々に解消される。父と母は子供の最初の教師である。親のもとで、子供は、座ることや何かに向かうことや最初の言葉を話すことや人間関係を作ることや他者を愛することや自分自身を愛することなどを学ぶ。子供の発達に伴って、感情の発達、不信感や愛情の発達も起こる。家族がこうした感情の起源なので、どの子供も、自分の家族の目を通して、世界や自分自身を見るのである。

続く⇒続きを読む
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2006年06月15日

子どもを産んだら給料の67%BACK?@ドイツ


今朝、yahooドイツを見たら、ビックリ。すごい法案が議会に提出された。これが可決したらすごいことになる。

【飛び立つ両親手当】(Elterngeld ist «flügge»)
ドイツ語の記事はこちら

「提出された法案によると、2006年以降に生まれた子どもの養育のために、育児休暇を取る両親は、一年間にわたり、自分たちの前年の手取り(実質給与)の67%分をもらうことができる。最大、月に1800ユーロ(20万円相当)までもらえる」

一年間、育児休暇が取れて、さらに67%分の保障もつく。これは、ありがたい法案だ。もちろん男性もその権利があり、育児休暇の普及はさらに拡大するだろう。しかも、この両親手当には、さらにボーナスが加算される。

この法案には、様々な批判や問題点があるが、それでも、子育てに対して、国が積極的にサポートしようとしている。

その背景には、ドイツにおける深刻な少子化があると思われる。ドイツでは、結婚する若者がかなり減少してきており、子どもを産む女性の数も深刻なまでに低下してきている。これは、日本も他人事ではない。

これからも、子育て支援は、大いに悩ましい問題であり続けるだろう。
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2006年06月14日

親の離婚と子どもの心(13)


不定期連載の【親の離婚子どもの心】、今回で第13回目!

もうすぐ、第一章が終わりますわーい(嬉しい顔)

前回の記事(12回)はこちら
前々回の記事(11回)はこちら
さらに10回の記事はこちら

今回は、12回の続き。キュプラーロスの理論に基づいて、離婚問題を考える重要な箇所だ。なかなか説得力があって、納得できた。

というわけで、以下、スザーネ・シュトローバッハさんの文章をお読みください!⇒

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ニックネーム kei at 01:23| Comment(0) | TrackBack(0) | こどもの福祉と保育

2006年06月03日

■ドラッグベイビー■

今日、僕自身、生まれてはじめて、ホームステイ先のホストファミリーとなった。今年の2月にお世話になったハワイ(カウアイ)の学生たちのホームステイ先として、僕の家がホームステイ先となったのだ。今回、受け入れたのは、ハワイの18歳の女の子Mさんだ。日系三世の女の子で、見た目は日本人っぽい。が、日本語はほとんどできない。大学で1年日本語を勉強しただけ、とのことだった。

夜、そんなMさんと話をしていたら、面白い話を聞かせてもらえた。

僕が、「将来、どんな家族を築いていきたいの?」と尋ねると、「7歳上まではOKだわ。そして、子どもは一人欲しい。それから、親のいない子どもを世話したいと思っているの。男の子が生れたら女の子を、女の子が生れたら男の子を引き取るわ」、と答えてくれた。

んん?? どういうことだ?? その歳で「養子」を考えているなんて・・・ どういうつもりなのか、想像すらできなかった。

そうしたら、「ドラッグ」についての話が出てきたのだ。

「ハワイでは、ドラッグが大問題なんです。女性のドラッグ使用も深刻。ハワイは、ドラッグを入手することはeasyなんですよ。私が高校生の時も、何度か、ドラッグを買わないかと声をかけられましたよ。そんな風に、ドラッグの入手がとても簡単だから、ドラッグはすごく身近なところにあるんですよね。だから、ドラッグベイビー(母子感染した麻薬中毒の赤ん坊)も多いんですよ。私は、一人は自分自身の子、それから、もう一人はそういう親のいないこどもを育てたいんですよ」

なるほど〜〜〜と思った。

主なドラッグの作用についてはこちら

ドラッグベイビーについての記事はこちら

ドラッグベイビーの里親、そんな夢を持っているMさん、18歳だというのに、すごくしっかりとしているなあ、と感心してしまった。
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2006年05月10日

親の・婚と子どもの心(12)


親の離婚と子どもの心(11)はこちら

soonsoon

悲しみ
Trauer

悲しみの五段階(Die Fünf Stufen der Trauer)
エリザベス・キュブラー・ロスに習って)

家族内の死、別居、喪失は、紛れもなく嘆き悲しむべき出来事である。もしこうした悲しみが生じないならば、表に出てこない悲しみが、壊滅的な影響をすべての当事者の人生に与えることになるだろう。悲しみには、実に複雑で、しばしば葛藤を起こすような感情が含まれているのである。60年代後半に悲しみの感情に関する調査を始めて行ったエリザベス・キュブラー・ロス博士は、年齢に関係なく人間が突き当たることになる悲しみの五段階について述べている(キュブラー・ロス、1984、1993)。後に、これと同じような研究、例えば、ホズマンとフロイランドの研究(1976)、あるいは、ルクセンブルクのハーロー・グラフ、フェラ・プファイフェル、クラウス・コッホ、ヴェーヴル・シュヴェルトフェーガーなどの研究が、同じような研究成果を発表しており、それゆえ、私は、このエリザベス・キュブラー・ロスの研究に接近して、悲しみについて詳しく述べてみたい。

1.否認
2.攻撃
3.取り引き
4.抑鬱
5.受容

当事者にとって重要なのは、悲しみの状況を本当に十分に克服するためには、あらゆる個々の人間がこの諸段階を経験しなければならない、ということである。こうした悲しみの克服には、痛んだり、攻撃したり、悲しんだり、苦い思いをしたり、涙したりする長い時間が必要なのである。この5つの諸段階のそれぞれがどれくらい長く続くのか、というのは、時間的に、あらかじめ言い当てることはできない。この経過は、人間個々それぞれによって異なっているし、また、個々の諸段階におけるそれぞれの期間も、非常にまちまちだからである。また、この5段階の中で、再び立ち戻ってしまったり、一時的に一つ段階を飛び越えてしまったりすることもある。だが、たとえ当事者が段階の一つを飛び越えたとしても、後になって再び立ち戻り、その段階の問題に取り組むことになるのだ。キュブラー・ロスは、こうした諸感情を整理して、再び自分の両足で歩いていけるまでの三年から五年間について述べている。子どもや青年にとって必要こと、それは、彼ら自身、こうした喪失体験を、特別な発達段階の中や、彼らの人生の重要な時期において、新たに、静観する(じっと見つめる:anschauen)ことである。そうすることで、異なった年代や異なった発達段階から、この(悲しい)状況を冷静に見つめ、万全を喫し、本当にすべての段階を乗り越えることができるようになるのである。

SS.20-23

(つづく)
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2006年05月05日

親の・婚と子どもの心(11)

親の離婚と子どもの心(10)はこちら

soon

離別の仕方がうまくいかなかった時の危険
Gefahren, wenn eine Trennung nicht ausreichend bearbeitet wird


長期間にわたり未解決のままのもろもろの離婚問題にさらされた子どもの場合、後々の結果を、次のように確認することができる。つまり、30パーセントの子どもが目的喪失し、20パーセントの子どもがアルコール問題を抱え、19歳から22歳の子どもの40パーセントが治療行為を受けていた、ということが確認できている。

両親の意識的・無意識的な衝突は、子どもたち自身のパートナー関係(夫婦関係)の中で繰り返される。親が離婚した子どもは、しばしば、自分のパートナーに対して過度な要求をする。彼らは、幼少期に満たされなかった愛情(Sehnsucht)を、自分のパートナー関係に移し変える。そして、早々に、自分自身の家庭に失望するのである。

(S.20)
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2006年05月02日

親の離婚と子どもの心(10)

性別に特徴的な違い―男の子と女の子とでは、親の離婚の体験の仕方は違うのか?
Geschlechtsspezifische Unterscheide-erleben Jungen und Mädchen die Trennung der Eltern anders?

男の子が自分の感情を剥き出しにして、行動で顕わに示すのに対して、女の子は、むしろ、引っ込み思案になり、過剰適応することで、自分の親などの期待に応えようとする(見せかけの成熟Scheinreife)。女の子は、取り乱しているようには見えないし、際立った問題行動も起こさない。それゆえに、しばしば、女の子は親の離婚にあまり影響を受けていないかのように見えるのである。

たいていの場合、男の子は、女の子よりも、母親や教師や遊び仲間たちの愛情を受けることが少ない(一方では、伝統的な教育様式があり、他方には、多くの男の子がしばしば問題行動を起こすことがある−しかし、『もし子どもたちがそうした愛をほとんど受けられないのならば、それだけいっそう彼らには、最大限の愛情が必要なのである』)。

男の子たちがもう再婚しない母親のもとで生活し、父親やその他の男性ら(祖父、叔父、自分の家族の友人など)との接触を持たない場合、彼らは、親の離婚に対して、女の子よりも、その直後から長い間、よりネガティブに反応する。

男の子たちは、親の離婚によって、彼らの発達がより妨げられているように思われる。これについては、また、男の子のカウンセリング受診率がおおよそ三分の一高い、ということからも示されている。それにひきかえ、女の子は、自分たちが自分自身の関係に入り込み、自分たちの十分な交友関係モデルが欠けてしまう時には、さまざまな困難が押し寄せる。幾つかの追加的な説明要素は、以下の通りである。

続く⇒続きを読む
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2006年04月27日

親の離婚と子どもの心(9)


スザーネ・シュトローバッハさんの本の翻訳です。

前回の記事はこちら

父親が自分の子どもたちとのコンタクトを取ることが困難な理由
Gründe, warum es Vätern oft schwer fällt, den Kontakt zu ihren Kindern aufrechtzuerhalten

●日常的な父親は、自分の子どもたちと一緒に、医者に行くし、日曜日の父親は、子どもたちの砂糖棒(お菓子)を買いに行く。

●とりわけ自分たちの別居/離婚を望む場合、多くの父親たちは、自分の子どもたちに対して、悪い確信を抱き、子どもたちに拒絶されるのではないかと恐れる。

●多くの母親は、父親の訪問権利の受け入れを拒否する。とりわけ、夫婦の一方に新しいパートナーができた場合に、拒否し始める。母親に新しいパートナーができた時、「新しい温かい」家庭への願望が圧倒的に強く、実の父親は、その阻害要因と見なされるだろう。(逆に)父親に新しい女性のパートナーができた場合、しばしば、母親は、嫉妬深い反応を示し、父親と新しい女性に子どもを取られるのではないかという不安を抱く。

●離婚後の両親の間が芳しくない場合、訪問の調整の詳細は、しばしば、養育権を持つ方の親に対する「武力」と取られてしまう。

●特に、子どもの引渡し状況は、しばしば、コミュニケーションや協同の準備の不足によって、負担に感じられる。

●多くの父親は、母親との接触を拒絶する。

●多くの父親は、別れた相手に、子どものとの接触を申し出なければならないことを、屈辱と捉える。

●自分の子どもの養育責任を感じられないことに、多くの父親が痛みを感じる。そして、絶えず、自分の子どもを相手に返さなければならない痛みを感じるくらいなら、む