ひらめき生涯一教師、生涯一研究者で頑張りますパンチ


2006年12月20日

2006年11月の『Dr.keiの研究室』は・・・


たまのたまに気になることがあります。

「どれくらいの人が、月にこのブログを見てくれているんだろう?」

という疑問です。

このブログでは、「量より質」、「数より個別性」を主軸にしているので、カウンターなどをつけていません。ランキングも、気になるにはなるのですが、それ狙いで何かをすることはしておりません。

あまりけばけばしくしたくないので、できるだけシンプルにして、すっきりとしたブログを作っていきたいと考えているところです。

でも、たまのたまに「数字」が気になるところでして・・・

先月のページビュー数と訪問者数が分かりました。(この数の出し方がようやく分かりました・・遅すぎるって?!)

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2006年12月13日

零れ落ちるものを拾いたい

僕がブログを書く理由。

その一つが、「零れ落ちるものを拾いたい」、という衝動だった。

マスコミや大規模メディアは、「大衆(マス)」の興味を敏感に感じ取り、それを記事にして、できるだけ多くの人に「自分たちの記事」を買ってもらおうとする。だから、「大衆(マス)」にとって無関心となるものは、マスコミや大規模メディアという網目から零れ落ちてしまう。

世の中、「売れるモノ」だけが強い。「売れそうにないモノ」や「売れなくなったモノ」は、既存の大規模メディアやマスコミでは決して取り上げられることはない。無慈悲なほどに。。。だけど、それは仕方ないことで、マスコミや大規模メディアは、慈善事業であるわけはなく、あくまでも産業社会の一員であり、厳しい競争社会を生きている。だから、お金にならないモノまで、記事に取り上げることは、しないのではなく、できないのだろう。

しかし、だからこそ、ブログなのである。あるいは、mixiなのである。マジョリティーではなく、マイノリティー文化を支えてくれるのが、ブログであり、mixiなんだと思う。ブログもmixiも、ほとんどが一般人ユーザーによって作られているし、また、利害関係に取り込まれることなく、自由な議論、自由な言論ができるようになっている。いわば「生の声」がそこにはある。

ブログは、「大衆(マス)」とは逆の方向を向いている。一部のブログで「大衆」にうけているものもあるが、その多くはマイノリティー文化に属している。それがブログの良いところでもある。

やや強引ではあるが、マスコミVSブロガーという対立を僕は支持したい。「大衆」の関心にはならないが、一部の人間の関心(特別なニーズ・特殊なニーズ)に答えられるメディア。それがブログの使命だと思う。例えば、ラーメン。ラーメン情報のほとんどが一部のマスコミやジャーナリズムによって構成されている。マスコミに支持されるラーメン屋さんは繁栄するし、人気も上がる。だけど、マスコミ情報よりも、ブロガーの情報の方が「本音」が聴けるし、利害がないので、厳しい意見も聞ける。どこぞのTV番組で「うまい」をもじって連呼している番組があるが、あれほど信じられない番組はない!!! しかし、マスコミに取り上げられないお店で良いお店も、ブログでは見つけることができる。またバンドもしかりだ。僕の愛する新宿心音会の情報は、ブログやmixiで十分なほどに得ることができる。決して音楽雑誌で見ることはない。

そういう意味で、僕は、恐れ多くも、「零れ落ちるものを拾いたい」と思う。世の中、まだまだ零れ落ちているものはたくさんあると思う。これからも、既存の大規模なメディアが取り上げないマイナーな記事を細々と書き綴っていきたいと思う。

深夜27時に。。。
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2006年12月13日

山川健一「『書ける人』になるブログ文章教室」

ちょっと面白い本を読んだ。ソフトバンク新書の一冊だ。山川健一の『「書ける人」になるブログ文章教室』という本で、ブロガーたちへのメッセージ、ブロガーへのアドヴァイス、そして、現代のブログ事情の冷静な分析などを行っており、ブロガー必読の一冊となりそう。

山川は、ブログの日記性を高く評価している(第一章、第二章)。そして、それを「土佐日記」や「万葉集」になぞらえて論じている。僕もこの考えに強く共感した。彼自身、ブロガーであり、ブログの応援団長のようなところがある。がゆえに、彼はまた現在のブログへの不安、危機感も強い。なぜ(一部の)ブロガーは途中で自分のブログを書くことを辞めてしまうのか?彼は、@いじめ、炎上、A倦怠、興味喪失、B反応がない、という三つの原因を紹介し、それぞれの対応策まで述べてくれている(第三章;ここは読み応えがある!)。それから、ブログで、何を書くか(第四章)、どのように書くか(第五章)が続き、書籍化、出版化についての若干の考察へと続く(第六章、第七章)。最後に、小説を書くということについて自身の考えが述べられている(第八章)。

この本は、ざっと読める「読みやすい文章」だが、内容的にはかなりつっこんでいる、というか、かなり古典的なアプローチで書かれている。接続詞の問題や人称問題など、文章を書く上でのポイントはきちんと押さえられている。これを真面目に読んで実践をすれば、かなりいいブログが書けると思う。

ただ・・・

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ニックネーム kei at 01:58| Comment(0) | TrackBack(0) | about Blog and Internet

2006年12月06日

眠れない夜を抱いて〜♪

いつも真面目な記事ばかりだけど・・・

ブログはそもそも日記。

たまにはふつ〜に日記なんぞも。。。

今の悩みといえば、、、

「眠れない〜〜♪」

明日、尿管結石の精密検査を受けるからかなあ〜〜〜もうやだ〜(悲しい顔)

深夜27時過ぎだというのに。。。

酒も飲んだっていうのに。。。

明日も病院⇒仕事だっつううのに。。。

なんで、眠い時に寝れなくて、

寝なきゃならない時に寝れないんだ???


神様、教えてあせあせ(飛び散る汗)
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2006年11月28日

サルトルは「書くブロガー」を応援している?!

フランスの奇妙な哲学者サルトル。

その奇妙な哲学者の最も奇妙な作品『嘔吐』。

この小説の冒頭の文章は、僕も含むブロガーたちへの応援歌のように思える。毎日ブログを書いている人、その人は素晴らしい人なのだ。本書の主人公ロカンタンは、冒頭でこう言っている。


いちばんよいことは、その日その日の出来事を書き止めておくことだろう。はっきり見極めるために日記をつけること。取るに足りぬことのようでも、微妙な違いを、小さな事実を、見逃さないこと。そして特に分類してみること。どういう風に私が、この机を、通りを、刻み煙草入れを見ているかを言うべきだ。なぜなら変わったのは<それ>だからである。この変化の範囲と性質とを、正確に決定しなければならない。(p.5)


毎日の微妙な変化や小さな事実を書き留めること、些細なことでの微妙な違いを見逃さないこと、日記にすること、こうしたことは、「いちばんよいこと」なのだ、という意味深な言葉ではじまる「嘔吐」。現実をよく見て、そしてそのことを言葉にする。文字にする。書くことで、現実に起こったこと、見えていることが思い出される。

もしサルトルが生きていて、現代社会を見たらどう言うだろうか。多くの若者がパソコンで「日々の微妙な違い」をこまかく日記にしているのだ。頑張っている人は、ほぼ毎日ブログを書いている。些細なことや身の回りで起こったことを事細かに描写している。かつて、今日ほどに文章を書く時代があっただろうか。

もちろん語彙力の低下や表現力の低下が起こっていないとは思わない。けれど、かつての文章が洗練されていたのは、単に「ある種の人種の人間」しか文字を書かなかったからだけなのだ。庶民は、書く言葉をもたず、書く機会もなく、書かれるだけの存在であった。今は違う。われわれ庶民が書く時代なのだ。だから、もちろんかつての特権階級の人々よりも文章力が落ちるのは当然で、逆に、一般人が書き始めた段階にあるのだ。

われわれは、21世紀を迎え、「核の世紀」を終え、いよいよ「書く世紀」に入ったのかもしれない。もちろん「核の世紀」は終わっていない。しかし、「核」よりも「書く」ということの方が貴くて賢明なのだと思う。

サルトルは、日記を書くことについてさらに述べている。

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2006年10月28日

◆ブログとmixi◆

「ポケベル」が懐かしい今日この頃。(「ポケベルが鳴らなくて」という曲がリフレインしている) 

時代は変わり、今じゃ、ケータイに始まり、HP、ブログ、mixiと、人と人とをつなぐ媒体がすごい複雑に、多様になった。とりわけ、ブログとmixiは、僕らの生活に大きな変化をもたらした。

身体的・直接的なコミュニケーションから、電話、ネットの普及により、言語的・間接的なコミュニケーションツールが誕生した。身体性のないコミュニケーションは、今じゃ当たり前。主に「言語のみ」のコミュニケーションは、人々を幸せにし、また不幸にした。

で、本題のブログとmixi。

僕はどちらもやっていて、双方の良さをとりあえず実感している。この両者の決定的な違いは何か。ブログとmixiは似ているが、かなり違うように思われる。公開性の強いブログと非公開性の強いmixi。どちらがいいか?!という問題は抜きにして、双方の良さ、あるいは問題点などを考えてみても面白いように思われる。

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ニックネーム kei at 01:38| Comment(9) | TrackBack(0) | about Blog and Internet

2006年09月06日

■翻訳者の使命■


翻訳という仕事がある。

翻訳は、一般に、他の言語を母国語に訳すという営みを言う。この翻訳には、話された言葉と書かれた言葉の翻訳がある。

一般に、話された言葉を訳す人を、『通訳者』と言う。そして、書かれた言葉を訳す人を、『翻訳者』と言う。

だから、翻訳者は、主に、外国語で書かれた文字を母国語に直すということを仕事にしている人のことを言う。この翻訳者には、一般書を訳す人と、学術書を訳す人とに区別される。一般書と専門書とでは、内容的に、大きな隔たりがある、と見てよいだろう。

僕は、教育学者/社会福祉学者という顔、それから、ドイツ語講師という顔を持っているが、『翻訳者』という仕事も抱えようとしている。ドイツ語という武器を使って、ドイツ語圏の人々の考えを、日本に伝えたい、という思いがある。日本は、翻訳大国とも言われているが、その伝統に入り込みたいという欲望がある。

でも、外国語を母国語に移し変える人だけが、翻訳者なのではない、と僕は考える。例えば、うまく言葉を話すことのできない子どもの代弁者となる保育士や教師も、立派な『翻訳者』だと思う。また、言葉をうまく使えない知的障害児や自閉症の子どもたちにかかわる保育士や介護福祉士なども、立派な翻訳者だと思う。また、ラーメン王の石神さんなど各界の評論家も、立派な翻訳者だと思う。こうした人々は、その世界で語られる言語を、われわれ一般の人々に、分かるように言語にしてくれている。

そう、各界の翻訳者たちは、個々の世界と社会とを結びつける水先案内人なのだ。個々の世界で起こっていることを、われわれは見通すことができない。けれど、良い翻訳者がいれば、その世界の内で起こっていることを理解することができる。われわれは、翻訳者の力を借りて、様々な世界を理解することができるのだ。

ひっくり返せば、翻訳者こそ、われわれの理解を可能にしてくれる人々だ、ということになる。良き翻訳者がいれば、その世界を追体験することができるし、そういう良き翻訳者がいなければ、われわれには理解することができなくなる。

そうすろと、翻訳者は、理解をもたらす人々である、ということになる。そのためには、翻訳者自身が、言葉をきちんと使えなければならない。言葉が足りないと、書かれた言葉を母国語にきちんと翻訳することができない。母国語を知らなければ、翻訳者にはなりえないのである。

こうした視点で翻訳者について考えてみると、翻訳者にとっていかに母国語が大切か、ということが分かってくる。

結局のところ、翻訳者は、おのれの母国語をきちんと理解している人、ということになる。母国語ができない人に、外国語の翻訳などできるわけがない。

どんな仕事であれ、われわれは、その世界の内で生じていることを、他者に伝えていかなければならない。とすると、いかなる世界を生きていたとしても、われわれが人間である限り、われわれは、母国語である日本語をしっかり使えている、という前提をもっていなければならない。

今日のブログブームやSNSブームは、言葉を見直す意味でも大きな意味があるように思われる。

母国語は、やはり書くことによってのみ、修練可能となるはずである。僕らは、外国語を学ぶことだけでなく、母国語の息吹をもっと感じ取ってもいいはずだ。そういう社会であってもらいたいなあと思ったりもする。

午前4時のkeiのつぶやきでした。Gute Nacht!!
ニックネーム kei at 04:51| Comment(2) | TrackBack(0) | about Blog and Internet

2006年08月02日

■ブログのこと■999記事目■

この『Dr.Keiの研究室』を開設して、1年と7ヶ月。なんだかんだ言いながらも、長いことやってきた。

最初はただのお遊びのつもりだったが、どんどん『真剣な遊び』になっていった。ほぼ毎日ブログを更新するのは、簡単なようですごく難しい。また、ただ更新するだけじゃなくて、しっかり内容のあるものを書きたい。そうすると、さらに大変になってくる。さらに、「自分の身近なこと」を超えて、「色んな世界」のことを書こうとすると、いつも感受性の電波をビンビンと立てておかなければならない。だが、そうした作業が、自分の日々の生活に良い仕方で影響を与えてくれている。どんなにたいへんでも「文章を書き続けること」、「いい文章をちゃんと書くこと」、「幅広い内容の文章を書くこと」を守ることで、自分の文章能力、集中力、持続力、教養が、わずかながらレベルアップできたような気がする。

前置きはさておき、今回の記事で、記事総数、

999

達成!!!

あと一つで、1000記事だ。

すごいなあ、と我ながらあらためて感心。


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ニックネーム kei at 19:50| Comment(5) | TrackBack(0) | about Blog and Internet

2006年07月04日

☆念願の総合ランキング第一位☆


うぇーん、うぇーんもうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)

ブログを開設して1年半、記事総数935で、とうとう念願の総合ランキング第一位という世界を経験してしまいましたexclamation×2

総合ランキング

第一位と知った瞬間、僕の中でなんともいえない快楽が生まれた。「おお」って。きっと、パソコン画面を気持ち悪いくらいににんまりと眺めていたのだろう。なんともいえない達成感に包まれた。

だけど、その次の瞬間、「何でだろう?」と思った。そして、次の瞬間、「今日だけだろうなあ・・」となんともネガティブな感情が表れた。よく歌手が第一位をとったとき、「なんか実感がわかない」と言うけど、そういう感じもなくはなかった。

このブログでも、よく「第一位をとりたい!」って書いていたけど、いざとってしまうと、少し寂しくなる。夢が達成されてしまうことの寂しさ、みたいな。また、人間の欲望は際限なく膨張していくので、次々とさらなる欲望が出てくる。「明日も一位がいいな」、「総合だけじゃなくて、全部で一位がいいな」などなど。「一位をとりたい」という夢が現実になると、次々にさらなる夢(という欲望)がふつふつと湧いてくるのがわかる。

だから、今日、ブログランキングで第一位をとったことは素直に喜びつつも、謙虚に、そして地道に今後も素敵なブログ作りに専念しようと思った。それだけでいいんだ・・。欲望って、ホント、際限なく膨らんでいくんだなあ・・ 第一位をとっても、さらに欲望が出てしまうんだなあ・・

以上、生まれて初めて「第一位」という化け物を手に入れたkeiの感想でした。そして、いつも目を通してくださる方々に、心からの感謝を申し上げたいです! 

転がる石にコケは生えない!
DEAR NEXTexclamation×2
ニックネーム kei at 10:28| Comment(16) | TrackBack(0) | about Blog and Internet

2006年06月27日

【ブログランキング】

ブログランキング

ブログを立ち上げている人であれば、一度は気にしたことがあるだろう。『ブログランキング』。

自分のブログがどの位置にいるのか。どのくらい読まれているのか。人気があるのかどうか。

269gの場合、日替わりのデイリーチャートで、ベスト100まで公開されている。人気の高いブログはここで見つけることができる。僕は、上位のブログからこれまで色々と学ばせてもらってきた。人気が高いということが、必然的に、上質なブログであるということにはならないかもしれない。だけど、人気の高いブログは、やはりそれだけの内容やコンセプトがあるものだ。ランキング上位のブログには、やはりそれだけの『魅力』があるものだ。

ブログランキングを見ていると、その人の立場や名声が人気の理由になっている場合が多い。芸能人のブログや或る特定の職業の人間のブログなど。真鍋かおり氏のブログだったり、古田監督(ヤクルト)のブログだったり、ジャンヌダルクの某氏のブログだったり。また、弁護士のブログだったり、ホストのブログだったり。

僕個人的には、こういう人気ブログは参考にしていない。彼らのような魅力も名声もないから、彼らの真似をしても仕方がないのだ。彼らのもつ前提そのものがない。。。(ただし、ロッテ里崎選手のブログは違う。彼の『生き様』や『思想』が出ているからだ)

僕が参考にしているブログたちは、@できるだけ客観的に書かれているブログで、A情報提供に終始していないブログで、B書き手のその人らしさが言葉の裏側にでているブログで、Cデザインなど、背景に力を入れているブログで、D文章そのものがしっかりしているブログだ。ようするに、客観的すぎず、主観的すぎず、バランスの取れているブログだ。そういうブログは、ランキング上位にかならずいくつかはある。

もっともっと上質であたたかいブログを書けるように、これからも色んなブログを読んで参考にしていきたい。

って、前置きが長くなりましたが・・・

いつもご覧になってくださる人たちには、本当に心から感謝しますわーい(嬉しい顔) コメントまで下さる方にはさらに心から感謝します。これからも、『きっと誰もが楽しく生きられる・・・はず』というコンセプトで精進したいと思います。Vielen Dank!!

(「ランキングなんて関係ね〜」と思いつつ、「いつかは一位になりたいなあ・・・」と思っている自分がいる・・・がく〜(落胆した顔)
ニックネーム kei at 10:46| Comment(5) | TrackBack(0) | about Blog and Internet

2006年02月11日

「これであなたもブログ通!」NHKBS放送


今度、3月26日に、NHKで、ブログの番組が行われるそうです。

詳しくはこちら

このサイトで、エントリーすると、ブログ大賞をねらえる、、、みたいです。

自薦と他薦があるみたいで・・・

どなたか、この『Dr.keiの研究室』、推薦してくださいわーい(嬉しい顔)

自薦は、、、できないんです・・・(プライドが邪魔をして・・・)

まあ、「至極のブログ」には、とうていならないブログなんですが・・・ふらふら

あと、ブログをやっている人も、是非トライしてみてはどうでしょうか???
ニックネーム kei at 09:01| Comment(0) | TrackBack(0) | about Blog and Internet

2006年01月22日

病になって分かること

昨日、発熱して、ずっとDOWN。

(昨日は大雪の中なんとか気合で仕事を終えたのだが、さすがのkeiも夜はノックダウン・・)

テレビも、パソコンも見たいとは思わない。メールを書きたいとも思わない。ブログの更新意欲も全然湧かない。そして音楽さえも聴きたくなくなってしまう。

普段何気なく美味しく食べているラーメンも、この日ばかりはさすがに全く食べたいと思わない。ビールやお酒も全然飲みたくない。大好きなタバコだって吸う気がしない。

通常、本当に大好きなものが、病気になると、受け付けなくなってしまう。

これって不思議だ。

通常好きなものが、病気のときには好きじゃなくなってしまう。

じゃあ、病気のときって何を求めるんだろう??

・・・

通常欲していないものを欲してしまう。

普段あまり寝ていないのだが、とにかく寝たくなる。寝て寝て寝てしまう。だから、あったかいふかふか布団を求める。自分の部屋と寝慣れた布団、そして使い慣れたまくら。これさえあればなんとか耐えられる。

そして、甘いもの、ヘルシーなものを欲してしまう。これは個人差があるんだろうな。普段ラーメンしか望まない僕は病になると甘いものとヘルシーなものを欲してしまう。チョコレートなんて普段食べないけど、病になるとひたすらチョコレートの日々・・みんなはどうなんだろう? 嗜好の変化ってあるのかな??

そして、何といっても「人のぬくもり」。やはり、病になり、弱い存在になると、人のやさしさやぬくもりが欲しくなる。病気になって、看病してくれる人がいないのはとても寂しい。心配してくれる人がいないのは本当に哀しい。しかし、かといってたくさんの人が心配してくれる必要もない。ごく数人の親しい他者が心配してくれて、看病してくれる人がいてくれればいい。(辛いときにこそ、本当に大切な人の存在がはっきりとする!)

つくづく思う。

日常の日々の中で必死に追い求めているもの(お金、名誉、電化製品、おいしい食べ物など)、こういうものって、病になると、とたんに無意味に見えてくる。(病を治すための治療費はもちろん大事だが) そして、普段なんとも思っていないものが、大切に見えてくる。

う〜〜ん。

人間って、実は、とてもシンプルなのかも?!

日常の生活の中にあるものって、実は必要ないものばかりだったりして・・
(いや、必要なものは日常生活の中では目立たなくなってしまっているということか!)
ニックネーム kei at 14:29| Comment(5) | TrackBack(0) | about Blog and Internet

Auf Wiedersehen!!

DEAR NEXT!!