ひらめき生涯一教師、生涯一研究者で頑張りますパンチ


2007年03月07日

「悪口の解釈学」 悪口の復権?!

今年の研究の課題の一つ。

それは、「悪口」。

みなさんはどれだけ「悪口」を言えるだろうか。

僕が思いつくのは、「ばか」、「あほ」、「とんま」、「いんご」、「オマエのかーちゃんでべそ」、「タコ」、「まぬけ」、「おたんこなす」、「ブタ!」、「このすっとこどっこい!」、「ちんどんや」、「ぼけ」、「くそ」、「ちんちくりん」、などなど。

これらの悪口は、みんな、相手に向けて、相手のことを指して、言っている言葉である。「ばか!」というとき、自分がばかだということが言いたいのではなくて、相手をめがけて、相手のことを言っているのだ。

最近は、差別用語などが増えて、なかなかこうした「悪口」が言えない。「どぶす(ぶす)」、「でぶ」、「ちび」などは、ちょっと口に出そうものなら、猛烈なバッシングを浴びることになるだろう。身体にかかわる悪口は、想像以上に傷ついてしまう。

僕は、昔、よく「たらこ唇」と言われてバカにされた。また、歯茎が大きいので、「はぐき〜!」とか言われてののしられた。また、おでこが広いので、「はげ〜」とも言われた。

そうした悪口は、多分小さい時からよく言われていたせいか、ある程度の年齢になると、あんまり気にしなくなった。対した意味なんてないと分かったからだ。

悪口は、いけないことなんだけど、悪口があるおかげで、打たれ強くなったのも事実。

ところが、最近の悪口は、あまりにも涙ぐましい。

「うざい」と「むかつく」。

今の若い子たちが大好きな言葉だ。

この言葉、悪口のようでいて、実は悪口になっていない。普通、悪口というのは、相手のことを指して言うものだ。相手のことを言うものだ。しかし、「うざい」も「むかつく」も、全部自分のことをいっているにすぎない。「じぶんがうざったく感じている」、「自分がむかついている」ということを単に言っているにすぎない。

多分、「うざい」や「むかつく」をどれだけ叫んでもすっきりしないんじゃないか。。。逆に、「ばか」とか「あほ」とか「おたこなす!」って、意外にも、すっきりするものだ。。。(ネット上とかでの悪口じゃなくて、目の前の相手に直接言う悪口に限定!)

*「ばか」、「あほ」に差支えがあるなら、悪口を作っちゃってもよい。「このチキチキドン!」とか「むぎむぎ!」とか「わからんちん!」とか。。ブラックジャックのピノ子は、よく「とっぴんぱらりのぷう」と叫んでいた。僕はよく「ゲガンゲン!」と叫ぶ。(ドイツ語で行く(gehen)の過去分詞。gegangenと書く。この言葉の響が好き)

また、悪口に対して耐性のない子どもたちは、ちょっとした悪口で深く傷ついてしまう。。悪口を言うことも、悪口をあびることもできなくなってきていないか。また、無視やシカトというのは、悪口を言うよりも危険が少ないかわりに、とてつもなく冷酷だ。無言の悪口というか。。一昔前の子どもよりも、よくも悪くも大人びているというか、ませているというか、冷めているというか。(漫画に出てくる子どもは異様なほどませている。漫画創世記の頃の子どもはもっと幼稚で悪口がすごかった。今の漫画家以上に、子どものことをよく捉えていたと感じる)

いったい、いつからこれほどまでに悪口がなくなってしまったのか。また、かつての日本にはどんな悪口があったのか。どんな風にして姿を消していったのか。。

・・そんなテーマで論文書いてみようかなって思ったので、、書いてみました。

・・もっと悪口は大事にされてもいいのではないか。相手への怒りを言葉で表現することで、相手を不快にさせてしまうかもしれないが、それを心に溜めて爆発してキレたり、自殺してしまうよりはマシだ、、と思う。。
ニックネーム kei at 23:11| Comment(5) | TrackBack(0) | 教育の解釈学

2006年12月03日

月刊?■教育の解釈学2■特別活動廃止論?■

教育の場である学校を可能にするものは何か?(何をすることが学校教育か?)

前回、一般的・日常的に、教師の仕事は、授業をすること、テストをすること、評価することである、とした。そして、最後に、「一見すると、授業、テスト、評価が教師の仕事のように思われるが、それだけではない、、、ような・・・」と書いた。(前回の記事はこちら

小学校・中学校・高等学校の中のプログラム(つまりカリキュラムや時間割)を見れば分かることだが、学校という場には、授業とテストだけでなくその他の色々な活動がある。もちろんメインは「授業」であるが、一週間、一ヶ月、一年レベルで見ていくと、実に様々な活動がある。こうした活動も、教育の大切な営みと考えられている。例えば、「運動会」、「委員会」、「クラブ」、「部活動」、「掃除」、「給食」、「文化祭」、「発表会」、「朝の会」、「帰りの会」、「遠足」、「修学旅行」、「球技大会」、「水泳大会」、「農業体験」、「就職体験」などなど。もう無数なほどの行事・イベントがつまっている。

皆、どれも大切な行事と考えられている。が、価値判断を留保すると、これらすべては、本当に学校でやらなければならないのだろうか?教師たちは、これだけの活動やイベントをすべてこなしながら、日々の授業をし、子どもたちの基礎学力を鍛え、さらには、いじめ対策をし、各委員会に行き、数々の会議をこなし、さらには個別対応で子どもや親と接し、研修に行く。その合間をぬって、次の日の授業の準備をして、テストの採点をする。さらにやれる人は、授業研究などの準備をしたり、学級新聞・学級便りを書いたりする。

はたして、これが「学校教育」なのか? 授業をし、テストをし、評価をする、という基本的な活動は(現場で)大切にされているのか? 最近の問題関心から言えば、いじめはいつ起こるのか? 上にあげた授業外活動で起こっているのではないか? 学校は何から何までつめすぎていないか? いったい学校はどんな活動をする場所なのか? 学力低下論者もはっきりと答えていないが、「学校で最も軽視してはならない活動」は何か?つきつめれば、「学校はいったい何をする場所」なのか?最近言われている「いじめを解決すること」は、教師の最も核たる仕事なのか?

時代や社会背景の影響もあってか、学校は、どんな社会・組織よりもごちゃごちゃしすぎてきていて、混乱しているように見える。営利団体なら「利益」という明確なヴィジョンがあるし、非営利団体なら、物理的利害関係を超えておのおのの団体が打ち立てる目的のために!というヴィジョンがある。産業組織・経済活動は、たしかにたいへんな活動だが、その原理はシンプルである。学校は、「公共の福祉のために!」(公共性)、「基礎学力をつけるために!」(学力)、「よい人間関係(社会的関係)を作るために」(社会性・連帯性)、「自律した国民・市民を育てるために」(政治性)、「競争社会を生き抜く強い人材を育成するために!」(経済人の育成)、「思いやりのある人間を育てるために」(道徳・倫理)などなど、目的そのものが乱立してしまっている。。

がゆえに、学校の本来の役割・機能・使命を明確にするためにも、先ほどの問い、「学校はそもそも何をするところなのか?」、(冒頭の)「学校活動の場を可能にするものは何か?」という根源的な問いがどうしても必要なのである。もしかしたら、現代の教師は、やらなくてもよいことばかりやらされ、本来やらなければならないことをやっていないかもしれない(やれていないのかもしれない)・・・・ 特に、流動的なマスコミや世論にいちいち真面目に対応している学校は特に考えなければならない。学校・教師の自律性の問題でもあるのだから。。

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ニックネーム kei at 12:13| Comment(17) | TrackBack(0) | 教育の解釈学

2006年11月04日

■教育の解釈学1■教師の仕事は何か?■

ちょっと自分のテーマ。

教育活動全般の仕事、とりわけ教師の仕事は、「文化の伝承」、「知的財産の伝承」である。人間がロゴスを獲得して以来、長年にわたって積み重ねてきた知識や技術や考え方を、教師という媒体を通じて、子どもたちに与えていく活動こそ、教育の最も基礎的な営みである。

「教育する」ということは、教師という媒体を通じて、教科書という文書を用いて、子どもたちに、人間の知を伝達することである。これに異論はないだろう。その他の活動(例えば、掃除や朝の会や給食時間や部活動や地域活動)も、もちろん教育的営みではあるかもしれないが、教育の絶対条件ではない。進学塾は、人間知の中でも受験に必要な知識だけに特化し、それをあらゆる手腕(+テクニック)を通じて、子どもたちに与えていく。その「受験に必要な知識」の「伝達」が優れていればいるほど、その塾の名声は高くなる。

学校教育では、それ以上の知識(つまり進学・選抜・入試に関係のない知識や考え方)の伝達をしなければならない。学問知全体の基礎となるような知すべてが、伝達内容となる。もちろん受験に必要な知識は、学問知全体にとって重要な知であることは間違えない。だが、学校教育では、「知識の伝達」と同時に、「知的活動」、「知を生み出す能動的な所作」も獲得しなければならない。「考える力」と言ってもいい。既存の知識との向き合い方や既存の知識を用いながら新たな知へと向かう態度をやしなうことも、「教育」なのである。(この考え方には賛否両論がある。学校は既存する知識だけを伝達すればよい、と考える人もいれば、知識や知性を生み出す態度をやしなわなければならないと主張する人もいる)

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ニックネーム kei at 12:39| Comment(10) | TrackBack(0) | 教育の解釈学

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