僕の祖父は、現在94歳。明治生まれの人間だ。祖父の
誕生日と僕の誕生日が同じということもあって、祖父との結びつきは強い。幸いにも、まだまだ元気で、僕との対話も喜んでしてくれる。今日も、半年ぶりくらいに再会して、一緒に食事をして、会話を楽しんだ。明治生まれの人間と直にお話できるなんて、そう滅多にあることじゃない。また、血のつながった人でもあり、率直に話し合うことができる。これは非常にありがたいことだし、貴重な経験の場だとも思う。

今日は太平洋戦争中のお話を聴いた。僕の祖父は、実は戦争の時、兵士として戦争に参加していなかった。その理由は、大学で心理学を学んでいたからだ、という。
「おじいちゃんはね、兵士免除だったの。戦時中はすごい事態だから、心を乱す人がたくさんいてね。だから、戦争に行かないでよかったんだ。戦時中は、疎開していた。当時高円寺の辺りに住んでいたんだけど、区画整理とかで、国から800円もらって立ち退いたの。そのお金で、疎開したんだ。そして、
池袋から電車に乗って疎開の地に電車で向かった。疎開した頃、食料はすべて支給制だった。お米ももらえたけど、もらえない時もあった。そういう時は、じゃがいも、
かぼちゃなどが支給された。足りない時は、百姓のところにいった。
着物をもってね。お金じゃ食料を分けてもらえない。どうしてか分かる?戦時中はお金なんて必要ない。でも、百姓にだってほしいものはあった。それは、
オムツ用の布切れだったんだ。だから、おじいちゃんは、着物をもって、百姓のところに出かけたんだ。着物はオムツ用の貴重な資源となったからね。で、なんとか生き延びたんだ」。
祖父は、かつての話だとすごく流暢に話してくれる。高校時代に覚えたドイツ語の歌もしっかり歌える。「ローレライ」なんて、ほとんどすべてドイツ語の歌詞を覚えてしまっているくらい。
祖父は時折ケタケタ笑いながら言う。「もう、おじいちゃん、棺おけに足を半分入れているからね。でもまだ生きられそうだね」、と。僕は苦笑することしかできない。けれど、まだまだ生きていてもらいたい。もう耳もろくに聞こえないし、目もよく見えない。でも、底抜けに明るい。
「おじいちゃんね。ずっと
新聞記者としてモノを書いてきたでしょ。だから、死ぬ時までモノを書いていたいんだ。今も本を書いているんだよ。邪馬台国の話ね。邪馬台国の『台』という漢字はおかしい。『台国』ってヘンでしょ・・・そこを明らかにしたいんだ」
祖父は、かつてを生きているだけじゃなくて、今を生きている。書くことが好きで好きで仕方ないようだ(僕も同じなんだけど・・・) 邪馬台国の話をしているときの祖父の目は輝いていた。いつまでも無邪気で熱い祖父でいてほしい。死ぬ時まできっと大好きな物書きをしていくんだろうな、、と思う。
好きなことをもっていると、老後は絶対に楽しい。そう思わせてくれた一日だった。好きなことを、もっともっとたくさんやろうと思うkeiでした。
*ちなみに祖母もとても元気でして、一緒に楽しい時間を過ごしました!! 二人仲良く(?!)歩く姿にはいつも心打たれるんです。